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空海と般若心経 ブログ空海メ−ルマガジン
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忘れていないか、諦めていないか

今日は朝のうちは出役の共同の草刈り3時間立ち続けて草を刈っていると本当に疲れた。昼から雨が降っていたが坂道トレ−ニングに伊座利に行くつもりだったけど途中、天文学をやっているH先生に月や星の天体写真について質問した。丁寧に教えていただいた。
本当に感謝します。その後、家に帰ると疲れていたのか寝てしまった。

夕方ごろ目が覚めて庭を見ながらコ−ヒ−を飲んで、自分のやりたいことは何だったのか、忘れてないのか、諦めていないのか、自分をごまかしていないのか、真剣にやろうとしているのかと思いました。
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出雲大社に参拝してきました



今年の2月末に出雲大社に参拝してきました。この前は長男とでしたが今度は家内とでした。2人で旅行するなど30年ぶりでした。最初は車で行こうかと思っていましたが雪の時期でもあり団体ツア−でした。結構な人気でバスは満席。若い子もたくさんいたのには驚きました。


家内が気に入っていたうさぎ。




お守りを買ってきました。

バスの中、そして出雲大社の境内をずっと2人で話しながら何十年もこんなことはなかったのではと思った旅行でした。何かずっと探していた忘れ物をさがしあてような気がしました。
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咳が止まらなかった

ここしばらく咳が出てきて止まりませんでした。この季節になると、

いつもの事なのですが、今回はちょっと様子が違いました。病院に

いって診察を受けて通常は投薬でいくらか楽になっていたのですが、

今回はどうしても咳が止まらず、夜も続くので十分に眠る事が出来

ませんでした。昨年の末にも同様な事が起こったのですが、この時

は比較的短期間に治りました。

今回はこれは何だ、ちょっと様子が違うとは感じていました。


だいぶ前に新入社員での女性がいましたがその子は驚くほど

私の家内の若い頃に似ていました。会うたびに「よく似て

いるね。隣に並んだらきっと親子のように見えると思う。」

と言っていました。しかし別に何の気になるわけでは

なくそのままでした。その子が最近に結婚するという事を

聞きました。それで「ああ、結婚するのか、よかったな」と

思っていました。

しかし、どういうわけかその子のイメ-ジが頭から離れず

これはいったい何なのだろうと思っていました。前にもま

して咳はひどくなるし、かといって熱はなく、薬を飲んで

も朝方まで咳は止まらない。こうなると熟睡などできない

し体は疲れて衰弱する一方でした。仕事から帰ると

疲れこんでしまっている状態が続きました。


そんな中、映画のビリギャルというのを見ました。

この映画はご覧になった方もあると思うのですが学年

成績最下位の女の子が慶応に合格する話です。ここで

主人公の女の子の気持ちが良く出ていて「いいなあ」

と感じました。私が感じたのは「気持ちをわかってほ

しい」、語気を強めて言われれば反発せざるを得ない

若者の気持ちでした。特殊な状況にあるのでなければ

親の嫌いな子供はいないのではないかという事でした。

そして反発することで自分を確認している子供たちで

した。


連続する咳、弱っていく体、「気持ちをわかってほ

しい」と思う女の子。


私と家内の間には男の子の子供はいるのですが

女の子はいません。


ですが、流産になってしまった子がいてその子が女の

子でした。順調に成長していれば今度、結婚する

女の子より一つ二つ下だろうと思います。

流産になった子の供養は橘香道先生の般若心経で行い

ました。その時、「君と遊んであげたかった」と言い

ながら涙があふれたきたのをのを覚えています。

今度、結婚する女の子はその供養したの翌年の新入社

員でした。



近くの氏神様には毎朝、お参りに行っています。

しかし咳、体調不良、頭から離れない女の子の

イメ−ジをお訊きすることはありませんでした。



もしやこれは・・・・と思っていました。

それは、新入社員で入った私の家内の若い

頃によく似た女の子は家内ではなく成長し

た姿の私たちの娘のイメ−ジではなかった

のかという事でした。

勝手な思い込みも甚だしい所ですが、もしそう

なら、映画ビリギャルの主人公の「気が付いて

よ」ということに全く気が付かなかった、忘れ

ていたということでした。供養したのだから

それでいいと思って娘と「一緒にいる」という

事に全く気が付かなかったということでした。



早朝のまだ暗い神社からお参りの帰り道

「Aちゃん、お父さんといつも一緒にいる

よ。」と言うと暗い道が明るく開けたような


事、頭上で女の子が笑ったような気が

したのと同時に涙があふれました。この子に

は名前がなかったので今度、結婚する子と

同じ名前を付けました。

その日から咳が出なくなりました。



私の娘に対しては長い間、気が付いてあげれ

なくて本当にすまなかったと思うと同時に、

このことを知らせてくれた今度、結婚する

女の子には「あなたがいなければ私は

このことには気付かなかった。本当に

ありがとう。結婚して幸せな家庭を

築いてください。」という感謝の気持ち

でいっぱいです。
 







 
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空海-新聞寄稿記事から・・・その2

作家の高村薫さんが私の方の新聞の地方紙に21世紀の空海と題して

寄稿されています。後編では室戸岬での虚空蔵菩薩求聞持法のところ

です。虚空蔵菩薩求聞持法は道慈という人が718年にもたらしたと

されています。正式にはそうだと思いますが多分それ以前に日本に断

片的に伝わって知れ渡っていたような気がします。それは山伏のよ

うな山岳信仰です。

空海の当時は普通に行われているような修法だったのではないでし

ょうか。多くの書物が虚空蔵菩薩求聞持法が記憶が聡明に

なる方法と紹介されていますが実際にやられた方にお聞きすると

どうもそうではないようです。ある方は「どうも記憶量が良くな

るということでなく顔つきや表情など菩薩に近くなる。

それはその人にはわからず周りからみるとそう感じる」と仰って

いました。

またこれを2度修法したという女性の方は「記憶ということからは

関係ないのでは」と言いもう一人の方は「食事をほとんど、とらな

いせいもあるのか朦朧とした意識の中で光を感じました」というこ

とを言われていました。

最近は多くの方が空海の時代のように山野で修行せずに

求聞持堂という建物で行っていることが多いようです。

太龍寺の求聞持堂
求聞持堂

正式にはこれを修法するのにも段階があり特に満願の日は月食の日

でなければならないとされているようなので計画と準備がいるよう

です。

空海の修行した先の徳島県の太龍寺の大岩の上に行ってみますとそ

こはかなりの岩山です。今は杉やヒノキが植林されていますがよく

見ると小さい雑木が生えているだけなので1200年前の空海の当時、

ここはほとんど岩山ではなかったのかと思います。空海が修行され

たとする大岩から前を見ると阿南市の海の橘湾が見え岩のはるか下

には谷川があります。

空海が虚空蔵菩薩求聞持法を修法したとされる岩(南の舎身)
今は空海の像があります。
5

上の空海坐像の位置から前を見た風景
空海の見た風景

三教指帰での記述"谷響きを惜しまず"とはこの体験が昼なのか夜な

のかわかりませんが、実際にそこに立ってみると夜ではなかったの

ではないかというような感じが個人的にはしました。また当時、

この虚空蔵菩薩求聞持法を修法する人が空海の時代の前後もたくさ

んいた修行場としては知られたところではなかったかと思います。

空海の修行したのは"南の舎身"と言われるところですが"北の舎身"と

言われるところもありおそらくは、修法の場所だったと思います。

北舎身立て札

高さ7、8メ-トルくらいの大きな岩で上が平になっています。
今は誰も立ち寄らないのかもしれません。(北の舎心の上部)

北舎身

私はそれ以外は知りませんが太龍寺には周辺におおきな岩がたくさ

ん露出している場所があるのでこの他にもたくさんの僧が虚空蔵

菩薩求聞持法を修法していたのではと思ったりします。

そうなると、この修法は僧になるための過程の一つだったのではな

いかと推測したりします。

三教指帰の記述"谷響きを惜しまず"とは実際の地震を大岩の上で感じ

たことだとは思いませんが、そこで木、岩、草、鳥の声、風など見え

るもの感じるものが空間の中に莫大なエネルギ−放っていることを感

じることができたのではと思います。虚空蔵菩薩求聞持法をやっても

いない人間が語るなど恐れ多いことですが、そうではないのかと。


もう一方の室戸岬の修行です。ここは先の太龍寺から100キロほど

南です。

今は国道55号線が整備されているので車では2時間から3時間ぐら

いでしょうか。

でも空海の当時は道は整備されていなかったはずですからどうやって

行ったのか?

山越えするにしても周辺は高い山があり簡単ではありません。でも

太龍寺同様ここも修行場としては知られていたところではなかった

かと思ったりします。

とするるとここに至るル−トは修行僧の間では知られていたのではと

思います。

というのは室戸岬の洞窟の御厨人窟と神明窟という名前は空海以前

からあったと思えることです。

室戸岬の洞窟 左が御厨人窟 右が神明屈  
ふたつの洞窟

この洞窟に初めて入った時、真っ暗な中で「キ−キ−」いうので何か

と思ったら天井に大きなコウモリがびっしり張り付いていました。

30年前のことです。

今は灯明がついて明るいようです。

洞窟の前は大きい砂利石が今でも散乱して砂も多く空海の当時はそ

こが波打ち際だったと思われます。ここに砂浜づたいに行けたのか

と疑問です。

また洞窟の上は数十メ−トルの崖になっていて私が行ったときに何

のためにかロ−プを垂らしてありました。



さて太龍寺での体験の三教指帰の記述"谷響きを惜しまず"で虚空蔵菩

薩求聞持法の体験はあったのに、なぜ当時からすればはるか離れて

食物に窮するような室戸岬までいき再び太龍寺以上と思われる修行を

する必要があったのでしょうか。

今風に言えばここも修行のコ−スの一部なんだろうかと思ったりしま

す。

推測の域を出ませんが太龍寺と室戸岬は当時、お決まりの修行コ−ス

だったのかもしれません。

ここで室戸岬での空海の体験"明星来影ス"についてです。明星なので

これは朝方の金星なのでしょうがはたしてそうなのでしょうか?

今では相当な地方の田舎に行っても満天の星というのをほとんどまれ

にしか見ることができません。

私自身が子供の時に50年以上前でもたまにしか見ることはありません

でした。

空海の当時まして人家遠く離れたところでは雲のない澄み切った夜は

隙間のないほどぎっしり詰まった星が見えたはずです。この体験が流星

の一群などとは到底思われません。" 明星来影ス"につて単純に"明るい

星がやってきた"と何も考えずに思うと宇宙からこれも途方もない莫大

なエネルギ−を授かったという体験ではないのでしょうか?

この体験が具体的にどういうものだったのか具体的な記述はないように

思います。曼荼羅のように言葉にできないようなものなのでしょうか?


虚空蔵菩薩求聞持法の修法は100日間虚空蔵菩薩の真言を1日1万回

声を出して唱えることです。時間にして7、8時間かかるそうです。

現在でも修法される方は食事は基本的に1日1回でそばがき程度のも

のだけだそうです。

空海の当時、太龍寺や室戸岬での修業ではおそらく食うや食わずの

修行だったと思います。太龍寺では朦朧とした中で意識が肉体を離

れて木、岩、草、鳥の声、風など見えるもの感じるものが

空間の中に莫大なエネルギ−放っていることを感
じることができ

それが"谷響きを惜しまず"ではなかったかと思います。


一方の室戸岬では虚空蔵菩薩求聞持法の真言を唱えている時、

太龍寺の時と同様な意識状態のなかでまばゆいばかりの星が

ぎっしり詰まった夜の空と自分が同化した、つまり輝くばか

りの星の中に自分がいる、ぎっしり詰まった星という星が

すべて自分の意識の中にものすごい勢いでなだれ込んできて、

自分自身が一瞬に破裂してしまうようなものすごい体験が

”明星来影ス”ではなかったのではないでしょうか。




私自身も般若心経の真言を100万回言いました。私の場合は

時間とか場所とかを制限しませんでしたので100万回いうの

に10ケ月かかりました。集中度にもよるのでしょうが般若心

経の真言を1000回いう時間は15分ぐらいだったと思います。
 

空海は生涯この虚空蔵菩薩求聞持法を大事にしたといわれてい

ます。

この後、空白の時期を経て遣唐使に登場して、のちの30年は

高野山で没するまで超人的な作業をしています。

大学で修学して官吏になっていたらいたら空海も真言宗もな

かったでしょう。
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空海−新聞寄稿記事から

JUGEMテーマ:日記・一般
作家の高村薫氏が管理人の方の地方紙に21世紀の空海として寄稿されて

いました。6世紀に伝わった仏教は200年程度でかなり秩序も混乱して

奈良から京都への遷都も大きな要因がその仏教の秩序の混乱であったこ

とは映画「空海」の中でも表現されていました。

特に国家の手厚い庇護の元に置かれていた仏教はその反面で僧侶の堕落

あったことは否めないでしょう。そういう中で弓削道鏡が現れたりした

こともその表れであるかもわかりません。

空海が四国の讃岐から奈良の大学に入って当時の都の有様を三教指帰の

冒頭にかなりの思いで語っています。おそらく大学の講義は叔父の

阿刀大足についてすでに学んでいた以上のものではなく大変に退屈な

ものだったに違いありません。

三教指帰の原文でここに一人の甥がありから始まるところです
*******************************************
復有一表甥 性則弧瓠‖觚ぜ鮨А≠弧覦抒據’邉才袈◆^憤拆鏤

顧其習性 陶染所致也
********************************************
大体の訳はこんな感じでしょうか。

この甥はひどく性格がねじけ狩猟や酒、女に昼も夜も溺れ賭博や

やくざのようなことをいつもしている。周りがそうなのでそうなって

しまうのだろう。

これは空海は自分の甥だと表現していますが大学の学生のありさま

だったのではないかと思います。ほとんどが当時の裕福な貴族の

子弟だったはずで門閥から将来が安心していられるからおこること

でしょう。

爰有一沙門から始まる有名なところでこの僧から求聞持法を教わった

とされています。確かに誰かから聞いたことは確かでしょうがどうも

これは大学を飛び出すための言い訳のような気がしてなりません。

おそらく大学に入って官吏なったところで出身の佐伯氏の門閥では

と思ったのではないかとも思います。有名な万葉集の歌人の山上憶良

も遣唐使の留学生ですが彼の歌を見ると生活にも窮したことがわかり

ます。空海ほどの才気あふれる人が"俺はこのまま管理で朽ち果てる

のか”と思ったかどうかどうかわかりませんが、そんな思いと遠くない

ところではなかったでしょうか。

記憶術ようなつもりで求聞持法を修行したとは到底思えない

のです。

しかし実際に空海は徳島県の太龍寺や高知県の室戸岬で

この修行をやっています。でも三教指帰に修行をしたと

あるのはこの2ケ所だけです。なぜこの2ケ所だけなのか

わかりませんが当時は有名な修行場だったのかもしれま

せん。

この2ケ所の太龍寺では谷響きを惜しまずとしているし

室戸岬では明星来影すとしています。虚空蔵菩薩の真言に

よって宇宙と交信できた体感の記述でしょうか。

しかし、これから10年、空海は歴史に登場しません。

登場するのは10年後の遣唐使のメンバ−になるときです。

この10年間は空海はどこで何をしていたのか弟子にも語

っていないようです。

遣唐使のメンバ−になり2年後の帰朝からは正確な記録が

あり没するまでの約30年間は猛烈な作業をする日々になり

ます。

空海入滅の知らせを唐長安の青龍寺に送った高弟の実恵の

手紙には空海の死を「薪(まき)尽き火滅す」と表現され

ているそうです。

おそらく実態もそのような"燃える"ような活動をされてい

たことでしょう。






  




 
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出雲大社に行ってきました。

  出雲大社にいつかは行ってみたいと思っていました。

それは24年前の喜太郎さんの奉納コンサ−トをテレビで

偶然見てでした。古事記がテ−マのこのコンサ−トで

彼の旋律の美しさに感動しました。この番組がライブ

だったか録画だったかは覚えていませんがものすごい

インパクトを受けました。夜の境内でライトに照らさ

れながら彼のシンセサイザ−やバックのバイオリン

はまるで宇宙から聞こえるような感じがしました。


宇宙を音楽で表すとああいう感じになるのかなと思い

ました。初めてCDを買ったのも彼の「古事記」でした。




当日は台風の影響も心配されましたが大丈夫の予感も

しましたの安心していました。

四国の徳島からは朝の5時半に出て島根に着くのは12時

でした。



猛暑のなか、出雲大社について驚いたのは国旗の大きさです。

このポ−ルは高さ48メ―トルで国旗は畳で76畳分あるという

ことです。


今年は60年の大遷宮の年に当たるそうで観光の人も多い

ようです。



この説明のように当時は神殿は地上50メ―トルほどのところにあった

そうです。


本殿入り口ですが内部は撮影が禁止されているということで入り口の

画像です。


参拝者が多い中、地元の氏神様でするようにどこの、誰で何のために

来たかを申し上げ感謝の言葉を申し上げました。

一回終わって帰ろうとした時、頭の真上で何回かしておいた方がいいと

誰かが教えてくれました。それで本殿を出て本殿の周りを回って同じ

参拝を3回しました。3回目にはさすがにどこの誰で何のために来たか

をはっきり申し上げることができました。1回目で帰ろうとしたとき何回

かするようにと言っていただいたのは地元の氏神様のような気がしま

す。

一緒に行っていた長男も私と同様に3回参拝をしました。


出雲大社の荘厳さ壮麗さに圧倒されたのと同時に感激しました。

今までにない大きな力をいただきました。ありがとうござい

ました。 




ガイドさんの説明で江戸時代に四国の高知の人が自分で作った長さ

50センチ程度の小船に病気平癒の祈願成就のお礼に寛永通宝15枚を

船に入れて地元の川に流したのが出雲大社の前の浜に流れ着いたお話

がありました。この人の住んでいたのは四国の中央付近で徳島県の

吉野川の水源付近のようです。

この小船が18ヶ月を経て出雲大社の前の浜に流れ着いたというのです。

確かに吉野川は今もダムなどはなく小船は海には流れて行くでしょうが

吉野川の河口から紀伊水道に出て太平洋に出たとしても日本海の海に

流れていくことはまずないだろうと思いました。

一緒に行っていた長男と出雲大社の宝物館に入るとその小船が展示さ

れていました。


このペ−ジにあるように舟の表には「出雲大社様、土佐元山村助藤寅

年男」としか記載がないのだから初見でこれが誰のことか分からな

いはずです。

しかし、これが18ヶ月を経て出雲大社の前の浜に流れ着いたのは

多くの人の善意のリレ−があったのでしょうと宝物館のペ−ジの作者は

説明されています。私もそう思います。

そして小舟の作者の志和九郎左衛生門という方は周りの人がそうせざる

を得ないまでの思いになる方であったのだろうと思いました。



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神社の桜

 毎日参拝に出かけている神社の境内前の桜が見事で

思わず撮影しました。

sakura
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般若心経 中村元先生のこと

約40年ほど前の二十歳過ぎに初めて仏教書というのを


読んだのが岩波文庫から出ている中村元先生の般若心経


の解説でした。当時は般若心経は魔法の呪文のように思


っていたのでどういう意味なのかを知りたいだけでした


が読んでも意味が分かりませんでした。


そんな頃の思い出が前に書いた記事です。


40年たった今でもそして般若心経の写経を随分しました


が、自分流の解釈はあっても本質的なところは40年前と


そう変わっていないかもしれません。


中村元先生はサンスクリット語やパーリ語などに精通さ


れた語学の天才であったそうです。


「ブッダのことば」は私の母親が亡くなった時に、1行


1行の文章をひたすら繰り返して読んでいました。


この「ブッダのことば」は今でも増刷されるロングセラ


−だそうです。


中村先生は「西洋の思想は個人主義で冷たい。東洋の


ものは暖かい」と言っておられたそうです。弟子の


前田專學先生は中村先生が「残すべきものは相手


の気持ちに寄り添おうとする慈悲で慈悲がどんな


時でも一番大切なことだ」と考えられたのだと思


うと語っておられるそうです。この「慈しみ」と


いう言葉は「愛」という言葉のそれと違ってその


言葉、音の響きも私にとっては非常に分かりやす


い気がします。


こんなエピソ−ドがあります。


中村先生が20年の歳月をかけた書物の原稿を出版社


が失くしてしまったのですが中村先生は「怒って


原稿が見付かるわけでもないでしょう」とまた8年


かけて最初から書き直したということです。


中村先生が生まれた島根県松江市には遺族の方の


寄贈の蔵書3万4千冊がある中村記念館というのが


あるそうです。


 

 

 

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鎌田東二先生の新聞記事から

 面識はありませんが同郷の先輩で京都大学のこころの未来研究

センタ-に鎌田東二さんという宗教哲学者がおいでます。


 先日、地方紙に「わが師 ココ」〜盲目の猫から教わる〜 という

表題で寄稿されていました。

 自宅で長く飼っていたココという猫の死について書いておられまし

た。

 以下寄稿からの内容です。

********************************************
 ココには眼球がなかった。そのため家の中や外を走り回ったり出

歩いたりすることはできなかった。またてんかんの持病があり1週間

に1回はひどい発作を起こした。  〜中略〜  だが盲目のココに

は何歳になっても童女のような無垢さと凛とした気品を持っていた。

         〜中略〜 

 自宅のゴミ捨てでビニ-ル袋がガサゴソうごめいていた。生まれた

ばかりの猫が何匹も入れられていた。それを見てしまった妻は見過

ごすことができずビニ-ル袋のネコ達を家に持ち帰ってきた。4匹の

子猫であった。すでに我が家には2匹の猫がいた。近くの獣医さんに

連れて行くと人間の手では育たないと言われた。妻はスポイトを使っ

て必死でミルクを与えたが生まれたばかりの子猫はうまく飲めない。

そこで乳母に当たる別の猫を飼うことで切り抜けた。

我が家は7匹の猫屋敷になった。

         〜中略〜 

 ココは普通の猫がするような威嚇というようなふるまいを一切した

ことがない。 猫同士のけんかもしたことがない。家の別の猫やよそ

の猫がココを見て威嚇して

も平気で擦り寄っていっていつしか仲良く体を寄せ合って眠っている。
**********************************************

 鎌田東二先生は"弱肉強食が横行する生存世界でそんな生き方が人に

はできないだろう。だがココは我が家に拾われ、その生き方を最後ま

で全うし家族や近隣の動物や我が家にくる人々に愛され優しさと幸せ

を与えた。

〜中略〜 

観世音菩薩は三十三身に化身して衆生の苦しみを救済すると

いう。" という形で結ばれています。盲目の猫に観世音菩薩

を見る思いがされたのでしょう。「命」「生きる」「生」ということ

がどんなことなのかうまく言葉にできませんが垣間見たような気に

なれました。



        
        


        



      




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写経用紙